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蛭ヶ小島

所在地:伊豆の国市(旧田方郡韮山町)
      四日町字蛭ヶ島



当公園中央部にある「蛭島碑記」の古碑
寛政2年(1790年)豆州志稿の著者、
秋山富南の撰文により、
江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、
有形文化財に指定されている。

公園内

静岡県指定有形文化財 旧上野家住宅
伊豆の国市歴史民俗資料館

昭和50年1月、韮山町に寄付された。
その後、昭和52年12月20日、
静岡県の有形文化財(建造物)に
指定されたことを契機に
町は国庫お呼び県費の補助を受け、
韮山町歴史民俗資料館として
昭和54年3月30日解体、
移築復元したものである



平治の乱で平清盛に敗れ捕らえられた源頼朝が、
清盛の義母池禅尼の命乞いによって流された地。
当時は狩野川の中州のような島で、
蛭の多い湿地帯だったという。
頼朝はここで14歳から旗挙げする34歳まで過ごした




旧韮山町土手和田地区に
江戸初期から続く上野家の住宅で
記録こそないが18世紀中ごろ以前に
建造されたものと推定される。


狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、
近在には古河・和田島・土手和田等の地名が
現存することから、往時は大小の田島(中州)が
点在し、そのひとつが、
この蛭ヶ島であったことが想像できる。


秋山富南頌徳碑(しょうとくひ)で、
豆州志稿の増訂に当たった萩原正夫が、
明治26年に建立したもの

永暦元年(1160年)14歳で
この地に流された頼朝は、
治承4年(1180年)34歳で旗挙げ、
やがて鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、
配流20年間における住居等の細部は
詳らかではないという。
しかし、「吾妻鏡」治承4年の記事によれば、
山木攻め(頼朝旗挙げ)の頃は、
妻である政子の父、北条時政の館に居住し
館内で挙兵準備を整えたとあり、
このことから考えると、
頼朝は、北条政子と結ばれる
治承元年(1177年)頃までの
約17年間を、ここ蛭ヶ島で過ごしたといえる。



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